東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。楽天イーグルスという通称表記も使用される。宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にあるクリネックススタジアム宮城を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は山形県東村山郡中山町にある山形蔵王タカミヤホテルズスタジアム。この他、仙台市泉区には練習場と合宿所(東北楽天ゴールデンイーグルス泉グラウンドほか)が設けられている。
2005年シーズンから新規参入した、NPB加盟12球団の中で最も新しい球団。運営法人の商号は「株式会社楽天野球団」である。
2004年6月に明るみに出た大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)の合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けてプロ野球チームの設立を提案。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。同年10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)とすることと、初代監督に田尾安志が就任することを発表した。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された(プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。
* 開幕戦は千葉ロッテマリーンズとの対戦(千葉マリンスタジアム)。先発・岩隈久志の好投により3-1で初勝利。新規参入球団が既存球団を相手に初戦で勝利を収めたのは、楽天が初めてであった。
* 第2戦は0-26の記録的大敗。
この記録は1946年7月15日に、ゴールドスターがグレートリング戦で0-26の完封負けを喫した試合と並んで、1試合最多失点完封負けのタイ記録。またこの試合では渡辺俊介に1安打1四球と抑え込まれ、且つそのランナーをともに併殺で潰したため、27人で攻撃を終了した。
* 4月15日の日本ハム戦(東京ドーム)から11連敗。このため4月30日を以てマーティ・キーナートGMをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、また山下大輔ヘッドコーチと駒田徳広打撃コーチを2軍にそれぞれ降格にするなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。
* 本拠地フルキャストスタジアム宮城での日本ハム戦の初戦は、7月2日となった。
理由は、4月5日・6日の日本ハム2連戦を地方(福島・いわき。そのうち福島では後述のようなアクシデントも発生した)で行い、5~6月にセ・パ交流戦が行われたため。しかしSHINJO効果、さらに日本ハムには江尻慎太郎、金村曉、ダルビッシュ有と宮城県に縁のある選手がいるなど様々な要因が重なり、初戦の観客動員数は開幕以来最高を記録し、北海道・東北の最北同士の両チームは「北国ダービー」と呼ばれフルスタの人気カードになった。
* 7月は有銘兼久のチーム初完封勝利(31日・対西武ライオンズ戦)もあって10勝9敗1分けと初の月間勝ち越しを記録した。
* 8月9日からは2度目の11連敗を喫した(シーズン2度の10連敗以上を記録したのは1989年の横浜大洋ホエールズ以来。パ・リーグでは3度を記録した1961年の近鉄バファローズ以来)。
* 8月29日、日本ハム戦(宮城)に敗れたことによりシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決定した。8月中に最下位が決まったのは1952年、8月20日に決まった近鉄以来53年ぶり。この時点での成績は33勝84敗1分、8月の月間成績は3勝21敗だった。
* 9月25日のホーム最終戦終了後、田尾安志監督のシーズン終了を以っての解任が発表される。
* 9月28日、全日程終了。38勝97敗1分(勝率.281)で最下位。5位(北海道日本ハムファイターズ)と25ゲーム差、優勝した千葉ロッテマリーンズから47ゲーム差、レギュラーシーズン首位のソフトバンクからは51.5ゲーム差も付けられる散々たるものであった。
* 2005年12月26日に宮城県から1440万円の支援金の交付を受ける。
(出典:wikipedia)