シアトル・マリナーズ(Seattle Mariners、略称:SEA)は、アメリカのメジャーリーグのチーム。アメリカンリーグ西地区に所属。現在の本拠地はワシントン州、シアトルの「セーフコ・フィールド」。アメリカ国内のメジャー球団としてはもっとも北に本拠地を持つ球団である。チーム名の由来はシアトルが港町だったことからといわれている。
2004年8月まで任天堂の山内溥前社長がチームの共同所有者の一人として名前を連ねていた。現在は任天堂の米国法人であるNintendo of America(NOA)が山内の出資持ち分全てを買い取り筆頭オーナーとなっている。セーフコ・フィールドの一室にはオーナーとして山内の写真が掲げてあるものの、本人は現地に赴いたことがない。また同球団の会長兼CEOは、元NOA会長のハワード・リンカーンが務めている。
2007年現在、イチロー(鈴木一朗)、城島健司といった日本人選手を擁する。元・横浜ベイスターズの佐々木主浩(2003年まで)や、長谷川滋利、木田優夫(2005年まで)もかつて在籍していた。
また、日本のみならず世界各国でスカウト活動を積極的に行い、様々な国籍の選手が所属するMLBにおいて国際色豊かな球団のひとつとなっている。2007年のロスター(登録選手)は、アメリカ合衆国、ドミニカ共和国、プエルトリコ、キューバ、ベネズエラ、日本、韓国、オーストラリアと、8カ国もの出身選手で構成されている。
シアトルにはかつて1969年に1年だけパイロッツというメジャー球団があったが、事実上破産し、ミルウォーキーに移転しブルワーズとなった。 この移転の経緯が大リーグ機構側に不利であったこともあり、アメリカンリーグが2球団を拡張する際に、シアトルがトロント(ブルージェイズ)とともに新球団の本拠地に選ばれた。
創設は1977年。長期にわたって低迷を続け、ようやく1991年に球団史上初の勝率五割以上を記録する。 同じ1977年に創設されたブルージェイズが1985年に地区優勝(当時は2地区制で、ブルージェイズは東地区優勝所属)を果たし、1992年にはカナダの球団として初のワールドシリーズ制覇を成し遂げたのとは対照的に、長期にわたって下位を低迷し続けたことになる。
1990年にはケン・グリフィー親子がメジャーリーグ史上初の「親子同時出場」を果たした。
1995年にランディ・ジョンソン、ケン・グリフィー・ジュニアらの活躍によって、チーム史上初のアメリカンリーグ西地区優勝を成し遂げる。同年にディビジョンシリーズにおいてニューヨーク・ヤンキースを破る。
1997年にもアメリカンリーグ西地区優勝を果たし、強豪の仲間入りを果たす。2000年には佐々木主浩(同年に新人王獲得)も加入し、再び地区優勝を果たすが、アメリカンリーグチャンピオンシップ (ALCS) 第六戦でヤンキースに敗れる。
1990年代以降のマリナーズ躍進の原動力となったのが、トロント・ブルージェイズを2年連続ワールドチャンピオンに導いたGMパット・ギリックとシンシナティ・レッズ時代にワールド・チャンピオンを経験したルー・ピネラ監督である。
2001年にはイチローが加入し、シーズン116勝のメジャータイ記録を達成。チームでコミッショナー特別表彰を受賞する(個人以外での受賞は史上初)。
2002年と2003年には2年連続で93勝を記録するが、プレーオフ出場を逃す。また2003年に東京ドームでオークランド・アスレチックスと開幕戦を行なう予定だったが、イラク情勢の変化を理由にアスレチックスともども来日を中止。イチローや佐々木、長谷川滋利の凱旋帰国を待っていたファンを落胆させた。
2004年はリッチ・オーリリアやラウル・イバニェスなどが加入したが、彼らやジョン・オルルドなどベテラン陣の不調や相次ぐ主力選手の故障でアメリカンリーグ西地区最下位(63勝99敗)となった。オーリリアやオルルドなどを解雇した後はバッキー・ジェイコブセンやジャスティン・リオーニ、ジェレミー・リードなどルーキーを積極的に起用した。イチローはこの年も1番をつとめ、5月、7月、8月には月間50安打を記録、10月2日(日本時間)にはメジャー最多記録の257安打を更新し、レギュラーシーズンの最終戦となった10月4日(同)には262安打とした。
2005年からマイク・ハーグローヴが監督を勤めていたが、2007年7月1日に辞任したため、翌日からは前ベンチコーチのジョン・マクラーレンが監督として指揮を執った。しかし2008年シーズンの成績不振を理由に6月19日解任、後任としてベンチコーチのジム・リグルマンが残りのシーズンの指揮を執ることになった。
(出典:wikipedia)