ニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees、略称:NYY、アメリカ英語ではヌーヨーアク・ヤンキーズ [nuː jɔːrk jæŋkiz] にちかい発音をする 聞く(ヘルプ・ファイル))はアメリカ合衆国メジャーリーグ・アメリカンリーグ所属のプロ野球チーム。ニューヨーク・ブロンクスに本拠地を置く。
1900年のシーズン終了後、アメリカンリーグが再び組織され、会長のバン・ジョンソンを中心として同リーグを新たなメジャーリーグとする旨の宣言がなされた。従来はマイナーリーグであった(1899年まではウエスタンリーグと呼ばれていた)ア・リーグは、既存の5チームに加えて、東海岸に3チームを加えた。この3チームのうちの一つをジョンソン会長及びア・リーグはニューヨークに置く事を意図していたが、ナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツのオーナーがタマニー・ホール(注:民主党の派閥組織)とのコネを持っていたことから、政治的妨害の憂き目にあった。よって、代替案として新加入地区の一つは前年にナ・リーグのチームを失っていたメリーランド州ボルチモアに決定される。この時に創設されたボルティモア・オリオールズ(現在のオリオールズとは無関係)がヤンキースの起源である。
ヤンキースが1901年にオリオールズとして活動し始めた当初の監督はジョン・マグローであった。リーグ会長のバン・ジョンソンはフィールド上のラフプレーに対して厳格なルールを押し付けたが、これに反抗したマグローは1902年のシーズン半ばによりにもよってリーグを鞍替えしジャイアンツの監督となった。その一週間後に、ジャイアンツのオーナーはオリオールズの支配権を取得し、オリオールズ選手の大量引抜を敢行。この強引な行動に対しア・リーグ機構側は即座にオリオールズの支配権を取り戻し、さらにニューヨークへのチーム移転の意欲を未だに失っていない事を表明した。
ア・リーグとナ・リーグ間の闘争に巻き込まれた形となったオリオールズ(ヤンキース)だが、1903年に両者は「平和会議」を開催。選手との契約を巡る紛争を調停し、将来の協調を約した。また、ナ・リーグは、リーグの中心的な球団にならないとの条件付きで、ニューヨークにフランチャイズを置くことにも同意した。これにより、オリオールズは念願のニューヨーク移転を果たす。新オーナーのフランク・ファレルとウイリアム・デヴァリの最初の仕事は、ジャイアンツの妨害のない地域に球場設置場所を置く事であった。この両者は市政やギャンブル業界に強いコネを持っており、ファレルはカジノや複数の賭博場を有している一方、デヴァリはニューヨーク市警の警察署長であったが1902年初頭に汚職が発覚して追放されたばかりであった。
ワールドシリーズ制覇26回、出場39回を数えるメジャー屈指の名門球団である。この数字は各球団中、圧倒的なものであり、次位のセントルイス・カージナルスが、ワールドシリーズで10回の優勝しかしておらず、更に出場回数もロサンゼルス・ドジャースのワールドシリーズ18回出場を大きく引き離している。
北米地区のメジャースポーツの中で、ヤンキースと並ぶ成功を収めたといえるのは、スタンレー・カップで24回優勝したNHLのモントリオール・カナディアンズくらいのものである。
また、世界のホームラン王として知られるベーブ・ルースが所属したチームで、本拠地であるヤンキー・スタジアムはルースの建てた家と言われる。
規律が厳しい事でも知られており、長髪、無精ヒゲは厳禁(整えられた口ひげは認められている:例)ランディ・ジョンソン、デービッド・ウェルズなど)。そのため大変な高給で知られるマニー・ラミレス(ボストン・レッドソックス)が2005年シーズン中にトレードを志願した際にもヤンキースは蚊帳の外だった。ジェイソン・ジアンビも2006年にレッドソックスから移籍したジョニー・デイモンもトレードマークの長髪と髭を剃った。
ベーブ・ルースから始まり、最近ではロジャー・クレメンスやジョニー・デイモンに至るまでボストン・レッドソックスとは選手を絡んだ因縁も深くライバル関係にあり、特に両チームのファン同士は犬猿の仲で知られ、ハリウッド映画『オーシャンズ12』では喧嘩を始める口実として、『宇宙戦争』では親子の不仲を表すネタとして使われているほどである。但し、ファン同士は犬猿の仲であるものの、選手同士では決して仲が悪いという訳ではない。試合前は、雑談や談笑をしている場面を見かけることが多々ある。
日本においては、まず1997年伊良部秀輝が加入したことで話題になった。メジャー移籍後しばらくは期待通りの活躍をし、オーナーから「和製ノーラン・ライアン」と称された。しかし、その後はあまり活躍できず、1999年オフにトレードされた。
その後、2003年に読売ジャイアンツから松井秀喜が移籍して再び話題になった。この年に読売ジャイアンツとの業務提携を結んでいる。読売ジャイアンツの前には日本ハムファイターズと業務提携をしていた。
2007年には井川慶投手がポスティングシステム(入札制度)により5年契約で入団し、今後の活躍が期待されている。
ヤンキー・スタジアムでの試合終了後はフランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」のレコードが放送されるのが恒例である。
球団歌は "Here Come the Yankees" (1967年)、作曲はボブ・バンディン及びルー・ストールマン。ただし球場で一番良くかかっている曲は前述の「ニューヨーク・ニューヨーク」である。
(出典:wikipedia)