クリーブランド・インディアンス(Cleveland Indians、略称:CLE)はオハイオ州クリーブランド市に本拠を置くアメリカメジャーリーグのチーム。アメリカンリーグ中地区に所属。通称「トライブ(Tribe)」とも呼ばれる。実際の英語の発音は「インディアンズ」だが、日本のメディアではなぜか「インディアンス」と表記される。
1901年創設。球団創設の頃はナップスと呼ばれ、名の通りナップ・ラジョイが中心となって活躍したチームだった。1915年にインディアンスと改名し、1920年と1948年にワールドシリーズ制覇を果たした。しかし、その後は長い低迷を続け、1954年のリーグ優勝を最後に1994年までワールドシリーズからは遠ざかった。そのため、1989年には映画『メジャーリーグ』のモデル球団になるなど、弱小チームの代名詞として知られた。
1990年代後半になるとマニー・ラミレス、ジム・トーミといったスター選手を擁し、1995年から1999年まで5年連続で地区優勝を果たすなど、黄金期を築いた。2000年以降、緊縮財政のため上記の主力選手が流失してしまい、厳しい戦いを強いられた。しかし、その主力選手と引き換えに得たグレイディ・サイズモア、トラビス・ハフナーといった有望新人を育て、2004年に地区3位、2005年に地区2位、2007年には地区1位と着実に力をつけている。
地元での人気はもちろんこと、映画『メジャーリーグ』の大ヒットにより、メジャーでの知名度は高い。1995年6月12日から2001年4月4日まで、ホームゲームで455試合連続満員御礼という記録を作っている(これを記念して、455番がチームの永久欠番となった。なお、ボストン・レッドソックスも2003年5月15日以来、388試合連続満員御礼を続けており、2008年中に抜かれる可能性は高い)。交流戦ではヤンキースとメッツのサブウェイ・シリーズのように、同じオハイオ州のシンシナティ・レッズとのカードが“オハイオ・シリーズ”と呼ばれ地元では人気を集めている。
本拠地であるプログレッシブ・フィールドは、2007年までジェイコブス・フィールドと呼ばれていたが、2008年に自動車保険会社のプログレッシブ社が、16年5800万ドルでネーミングライツを獲得したことでこの名前に変更した。クリーブランドの市街地にあり、タワーシティ・センターと呼ばれる電車やバスのターミナル(クリーブランド・ホプキンス空港からの電車もここに停まる)から徒歩圏内、途中にNBAクリーブランド・キャバリアーズの本拠地クイックン・ローンズ・アリーナがある。
日本人選手では、2004年から2005年まで多田野数人(現プロ野球ー日本ハム投手)が在籍し、2008年から小林雅英が在籍している。
1916年、マイナーで過ごしていたスタン・コベレスキとジム・バグビーをメジャーに昇格させ、ボストン・レッドソックスからトリス・スピーカーを獲得した。コベレスキとバグビーはチームの勝ち頭に成長し、スピーカーはこの年、打率.388で首位打者を獲得した。チームもしだいに上昇気流に乗り出し、1919年のシーズン途中にはチームの中心選手だったスピーカーが選手兼任監督に就任する。
迎えた1920年、チームは首位を快走していたが、8月16日のニューヨーク・ヤンキース戦で悲劇が起こる。ヤンキースの投手カール・メイズの投じた球が、当時インディアンスの遊撃手だったレイ・チャップマンの頭部を直撃し、翌日チャップマンが死亡してしまったのである。これはメジャーリーグにおいて、試合中のプレーが原因で死亡した唯一の例となり、その後インディアンズの選手達は喪章をつけてプレーすることとなった。チャップマンが死亡したことで、新人のジョー・シーウェルが代役としてレギュラーに定着し、後にシーウェルはメジャー最高のコンタクトヒッターと呼ばれるまでに成長する。
シーズン終盤、ジョー・ジャクソンらが大審院で証言を行い、前年に起こったブラックソックス事件の話題が再燃する中、インディアンスはヤンキースとホワイトソックスの追撃を振り切り、初のリーグ優勝を飾った。ブルックリン・ロビンス(現在のロサンゼルス・ドジャース)との対戦となったワールドシリーズでは、5勝2敗でこれを下し、初のワールドチャンピオンに輝いた。このシリーズではコベルスキが3試合に登板し、すべての試合で完投勝利を収め、ロビンスに合わせて2点しか与えなかった。また二塁手のビル・ワムズガンスがワールドシリーズでは史上唯一の「無捕殺三重殺」を成功させている。
(出典:wikipedia)