ロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers、略称:LAD)は、1884年にメジャーリーグに加盟したアメリカメジャーリーグ、ナショナルリーグ西地区に所属するカリフォルニア州ロサンゼルスを本拠地とする球団。ニックネームの正しい発音は「ダッヂャズ」に近いものだが、日本では慣習的に「ドジャース」と表記される。
1977年にトミー・ラソーダが監督に就任し、以後1996年途中まで指揮をとった。1981年にメキシコ人のフェルナンド・バレンズエラがデビュー。 "フェルナンドマニア"を生み出し、 新人投手としては初のサイ・ヤング賞を獲得、同年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。1988年にはオーレル・ハーシュハイザー投手が59イニング連続無失点の記録を達成。 同年にワールドシリーズを制覇した。
1994年には朴賛浩が韓国人として初のメジャーデビューを果たし、1995年に野茂英雄投手と契約。 NOMO旋風を巻き起こし、日本人のメジャー進出の先鞭をつけた。1992年から1996年までエリック・キャロス、マイク・ピアッツァ、ラウル・モンデシー、野茂英雄、トッド・ホランズワースと5年連続で新人王を輩出した。
しかし、1996年シーズン途中でラソーダが辞任し、翌1997年にはオマリー会長が球団をフォックスグループへ売却した。1998年にはピアザや野茂を放出し、1999年開幕前にはケビン・ブラウンと1億ドルを越える大型契約を結んだが、チームは1988年以降ワールドシリーズに進出できずにいる。
1947年にアフリカ系アメリカ人として初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンがデビュー、1995年には史上2番目の日本人メジャーリーガーである野茂英雄がデビューした球団として知られる。
1884年の球団創設以来、ニューヨーク(ブルックリン区)を本拠地としていたが、1958年に現在のロサンゼルスに本拠地を移した。同年にはニューヨーク・ジャイアンツも同じく西海岸のサンフランシスコに本拠地を移している。
上記のように他人種、他地域からの選手の発掘、西海岸への本拠地の移転など、他の球団に先駆けた改革を行い、大きな成功を収めた。これらは長年オーナーを務めたウォルター・オマリー、ピーター・オマリーらオマリー一族の影響が大きく、ドジャースは「働きやすい全米企業ベスト100」に何度も名を連ねるなど、球団経営の質を高めた(その後FOXグループに売却)。
リーグ優勝21回はニューヨーク・ヤンキースに次ぐメジャー2位、ワールドシリーズ優勝は6回を数える。ワールドシリーズ初優勝を遂げる1955年までに10回のリーグ優勝をしているが、ワールドシリーズではことごとく敗れ続けた。特に当時本拠地を同じとしていたヤンキースとの対戦が多く、1955年に6回目の挑戦で初めてヤンキースを破っている。
その後ワールドシリーズ優勝は、ロビンソンが活躍した1950年代、ロサンゼルスに本拠地を移した後にサンディ・コーファックス、ドン・サットンら名投手が在籍した1960年代、ウォルター・オルストンの後を継ぎ、20年に渡って監督を務めたトミー・ラソーダの下、1980年代に各2回ずつ成し遂げている。
現在本拠地とするドジャー・スタジアム周辺がユダヤ系アメリカ人の多い土地柄であるため、ユダヤ系アメリカ人選手を好んで獲得する傾向がある。スモールボール(スモールベースボール)のパイオニア的存在で、日本のプロ野球(特に読売ジャイアンツ)にも大きな影響を与えた。
日本人選手では野茂をはじめ、石井一久、木田優夫、中村紀洋らが在籍していた。2008年シーズンも斎藤隆、黒田博樹がプレーする。
(出典:wikipedia)