ピッツバーグ・パイレーツ(Pittsburgh Pirates、略称:PIT)は、北米メジャーリーグ、ナショナルリーグ中地区所属のプロ野球チーム。チームカラーは黄色。本拠地はアメリカ合衆国ペンシルバニア州ピッツバーグ市。
ワールドシリーズ制覇5回を誇る名門チームであり、第1回のワールドシリーズにも出場している。チームの黄金時代は1970年代、ロベルト・クレメンテやウィリー・スタージェルといった名選手が揃い、地区優勝6回を果たすなど、圧倒的な強さを誇った。1990年から1992年にはジム・リーランド監督の下、バリー・ボンズらの活躍で地区3連覇を果たしている。
しかし、2007年シーズン終了時点で15シーズン連続負け越しと、近年は長い低迷が続いている。2008年シーズンも負け越した場合、フィラデルフィア・フィリーズが1933年から1948年にかけて記録した16シーズン連続負け越しと並び、メジャーワースト記録となる。
また、近年の下位低迷と相まって、観客動員数の低迷に悩まされている。現在の本拠地であるPNCパークがオープンした2001年は年間約240万人に達した観客動員数も、それ以降はメジャーでもワーストクラスの年間約180万人程度で推移している。年俸総額も2007年はメジャー30球団中27位の約3800万ドルにとどまり、緊縮財政を強いられている。
1921年8月5日、フォーブス・フィールドで行われたパイレーツ対フィリーズ戦で、メジャー初のラジオ中継が行われている。これを行ったのが地元ピッツバーグに世界最初のラジオ局として創設されたKDKAであり、1ヵ月前の7月2日にはジャック・デンプシー対ジョルジュ・カルパンチェの世界戦の中継や、翌8月6日に全米オープンテニスの中継も行っている。
日本人選手では桑田真澄投手が2007年に在籍したことで知られる。
1882年にピッツバーグ・アルゲニーズとして創設。1887年にナショナルリーグに加盟し、1891年にはピッツバーグ・パイレーツと改名した。
創設以降、優勝とは縁がなかったパイレーツだったが、1900年にルイビル・カーネルズのオーナーだったバーニー・ドレイファスがパイレーツを買収した際、ホーナス・ワグナーを含む14人の選手がカーネルズから移籍した。翌1901年にアメリカンリーグが創立され2リーグ制になると、パイレーツは圧倒的な強さでナショナルリーグ3連覇を果たす。1903年、初開催となったワールドシリーズではボストン・アメリカンズ(現在のボストン・レッドソックス)に敗れたが、再びリーグ優勝した1909年にはタイ・カッブを擁するデトロイト・タイガースを下して初のワールドチャンピオンに輝いた。
1925年に久々のリーグ優勝を果たすと、ワシントン・セネタース(現在のミネソタ・ツインズ)と対戦、1勝3敗と追い込まれながら、そこから3連勝し、2度目のワールドチャンピオンに輝く。2年後の1927年にも後に野球殿堂入りするポール・ウェイナー、ロイド・ウェイナーの兄弟を擁してワールドシリーズに進出するが、相手はベーブ・ルース、ルー・ゲーリックら、野球史上に残る「マーダーズ・ロウ(殺人打線)」を擁するニューヨーク・ヤンキースが相手で、あっさりと4連敗でシリーズを終えた。なおパイレーツの選手たちがヤンキース打撃陣のバッティング練習を見た時点で敗退を確信したというのは有名な話である。
戦後、7年連続本塁打王に輝いたラルフ・カイナーが現れたものの、チームは下位に低迷することが多くなった。しかし1955年にロベルト・クレメンテ、1956年にはビル・マゼロスキーがメジャーデビューするなど若手選手が充実。迎えた1960年には33年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズ第7戦をマゼロスキーのサヨナラ本塁打で制するという、劇的な幕切れで3度目のワールドチャンピオンに輝いた。
1970年代にはウィリー・スタージェルが現れ、地区優勝6回など黄金時代を築いた。1971年にはクレメンテの活躍により4度目のワールドシリーズ制覇を成し遂げるが、翌1972年に飛行機事故でクレメンテを失うという悲劇に見舞われる。その後、地区優勝は果たすもプレーオフでは敗退を重ね、ワールドシリーズからは遠のいたが、1975年にクレメンテの後継としてデーブ・パーカーがメジャーに定着すると、1979年にスタージェルとパーカーらの活躍により5度目のワールドチャンピオンに輝いた。
1980年代に入るとチームの勢いも衰え、優勝から遠のいたものの、1986年に名将ジム・リーランドが監督に就任すると、同年には超大型ルーキーであるバリー・ボンズが入団。ボンズとボビー・ボニーヤの「B-Bキャノン」、アンディ・バンスライクら外野陣トリオの活躍で1990年から1992年にかけて地区3連覇を達成した。1992年限りでボンズが地元サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍すると、再びチームも低迷、その後15シーズン連続で負け越しが続いている。
2006年、元横浜ベイスターズ外野手のジム・トレーシーが監督に就任し、さらに2007年には桑田真澄投手が所属し、日本のマスコミにおいて話題になったが、2007年限りでトレーシー監督は退団となった。
(出典:wikipedia)