セントルイス・カージナルス(St. Louis Cardinals、略称:STL)はアメリカメジャーリーグ、ナショナルリーグ中地区所属のプロ野球チーム。本拠地はミズーリ州セントルイス。チーム名の正しい発音は「セイントルイーズ・カーディナルズ」に近いものである。 1882年創設の長い歴史をもつ名門球団。1926年のワールドシリーズ初制覇以降、ワールドシリーズ優勝は10回を数え、ニューヨーク・ヤンキースに次いでメジャーリーグ史上2位、ナショナルリーグでは史上1位を誇る。リーグ優勝17回はアトランタ・ブレーブスと並んでリーグ3位タイ。2000年以降は地区優勝5回と、現在6球団がひしめくナショナルリーグ中地区においても安定した成績を残し続けている。 主催試合での観客動員はメジャーでもトップクラス。2006年に新本拠地球場であるブッシュ・スタジアムⅢが開場している。2007年の観客動員数は3,552,166人でメジャー4位。動員率(1試合あたりの観客数/球場定員)に至っては99.7%と圧倒的な数字を残している(メジャーで最もチケットが高額で入手困難といわれるボストン・レッドソックスでさえ、2007年の動員率は94.5%だった)。 1953年から1996年までバドワイザーで知られ、地元企業でもあるアンハイザー・ブッシュ社がオーナー企業であった(現在はスポンサー)。ブッシュ社の会長だったオーガスト・ブッシュは長年に渡ってオーナーを務め、辣腕を振るった。カージナルスの黄金時代を築いた功労者として1985年に永久欠番に指定されている。 同地区のシカゴ・カブスとは長年に渡ってライバル関係にある。共に長い歴史を持つ人気球団であること、シカゴとセントルイスがインターステート・ハイウェイによって近距離で結ばれていることなどにより、両チームが対戦する際には多くのファンが両本拠地を訪れる。カージナルスがワールドシリーズ優勝を10回果たしているのに対して、カブスはわずか2回しか果たしていない。しかしレギュラーシーズンにおいては1137勝1072敗(2007年シーズン終了時点)とカブスが勝ち越している。他にはヤンキースとレッドソックス、ドジャースとジャイアンツも同じような関係として挙げられる。 日本人選手では田口壮外野手が2002年から2007年まで所属していた。
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1871年にアメリカでプロ野球リーグが始まってからしばらく、セントルイスを本拠地とする球団は現れなかった。ファンのプロ球団を望む声の高まりをうけ、ようやく1875年にセントルイス・レッドストッキングスとセントルイス・ブラウンストッキングスというプロ球団が活動を始めたが、どちらも経営的に弱く、レッドストッキングスなどはリーグ加盟後わずか2ヶ月で破綻した。一方のブラウンストッキングスは1876年にナショナルリーグに加盟し、この年ジョージ・ブラッドリーがメジャー史上初のノーヒットノーランを達成するなどチーム成績もそれほど悪くなかったが、1877年オフにルイビル・グレイズから補強したジム・デブリンとジョージ・ホールが、ルイビル在籍時の八百長スキャンダルから永久追放となってしまい、ブラウンストッキングスはこのスキャンダルのあおりを受け倒産してしまった。 5年後の1882年、新たにセントルイス・ブラウンズとして球団が設立され、同年創立されたアメリカン・アソシエーションに加盟する。同リーグにはシンシナティ・レッドストッキングス(現在のシンシナティ・レッズ)やピッツバーグ・アルゲニーズ(現在のピッツバーグ・パイレーツ)なども加盟していた。ブラウンズの初年度は37勝43敗でリーグ5位(6チーム中)に留まったが、翌1883年には65勝33敗と勝ち越しリーグ2位に躍進する。1884年には同じセントルイスにセントルイス・マルーンズというチームが創設され、同年に創立されたユニオン・アソシエーションに加盟。しかし、同リーグの会長とマルーンズのオーナーは同一人物で、リーグ創立もチーム運営を認めてもらうためであり、マルーンズありきのリーグだった。そのため、マルーンズがナショナルリーグへの移動が決定したことで、同リーグは1年限りで消滅。マルーンズ自体はその後2年足らずで解散してしまった。その後ブラウンズは、監督兼任選手だったチャールズ・コミスキーのもと、1885年から1888年までリーグ4連覇を達成する。当時アメリカン・アソシエーションとナショナルリーグは、後のワールドシリーズの前身となる年間王者決定戦を行っていたが、4連覇中のブラウンズのこのシリーズの戦績は1勝2敗1分けで、ナショナルリーグ球団に引けをとらない実力を持っていた。 ブラウンズのチーム運営は順調に見えたが、1890年のプレイヤーズ・リーグの設立が、アメリカン・アソシエーションのリーグ運営に混乱を招いた。ブラウンズも監督のコミスキーとチームの主力だったティップ・オニールやシルバー・キングがチームを突如抜けてプレイヤーズ・リーグに参加するという事態も起きた。それ以前からアメリカン・アソシエーションに加盟していた他チームが徐々にナショナルリーグに移動するなどしていたこともあり、1891年にアメリカン・アソシエーションの解体が決定、残ったブラウンズも翌年からナショナルリーグに加盟することとなった。しかしこれらの混乱はブラウンズの戦力を大きく落としてしまい、チームは1898年まで下位に低迷してしまう。 転機となったのは1899年のことで、クリーブランド・スパイダーズを所有していたオーナー達によって、チームが買収され、セントルイス・パーフェクトズに改名、同時にスパイダーズからサイ・ヤングといった主力選手の多くがチームに加入したのである。これによってチームの戦力は一気に上がり、この年にはナショナルリーグ加盟後初の勝ち越しでシーズンを終え、順位も前年の最下位から5位(12チーム中)に上昇した(逆にスパイダーズはこの年、メジャーワーストとなる134敗を記録し、同年限りで解散した)。翌1900年にはリーグのチーム数が8チームに固定され、チーム名も現在の名称であるセントルイス・カージナルスに変更された。
(出典:wikipedia)

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・ (1969/12/31(Wed) 18:00)
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